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February 2024

北海道八雲町の木彫り熊

  • スイスの木彫りの熊(右)と、それを参考にして彫られた伊藤政雄(いとう まさお)作の「北海道第1号の木彫り熊」(左)。
    Photo: 八雲産業
  • 徳川農場での木彫り熊の制作の様子。
    Photo: 八雲町郷土資料館
  • 面彫りが特徴の、抽象的な作風の柴崎重行の作品と、使われていた道具。 Photo: 八雲町郷土資料館
  • 熊の学校。算数の授業中だ。
    Photo: 八雲産業
スイスの木彫りの熊(右)と、それを参考にして彫られた伊藤政雄(いとうまさお)作の「北海道第1号の木彫り熊」(左)。 Photo: 八雲産業

北海道観光の土産物(みやげもの)として知られる木彫り熊は、北海道南西部、渡島(おしま)半島のほぼ中央に位置する八雲町(やくもちょう)が発祥だ。八雲町木彫り熊資料館の学芸員・大谷茂之(おおや しげゆき)さんに木彫り熊の歴史など話を聴いた。

八雲町は、1878年から尾張徳川家(おわりとくがわけ*)の家臣たちが移住し、農地や住宅地を開墾して発展した町だ。貧しい農民の生活を改善するために、土地改良、機械化など、さまざまな取組が行われ、その一つに木彫りの熊の制作があったという。「農場主であった徳川義親(とくがわ よしちか**)が1922年に、旅行先のスイスのベルンで、農民たちが作った木彫りの熊や、お盆、鉢などのペザントアート***が土産物として売られているのを見て、八雲町でもできると考えたのが始まりです。木彫りの熊などを持ち帰り、農民たちに工芸品作りを奨励し、豊かな農村生活を目指しました。1924年には作品を展示販売する品評会も開き、たちまち評判になりました。その後、木彫りの工芸品作りは北海道全域に広まりました」。

徳川農場での木彫り熊の制作の様子。 Photo: 八雲町郷土資料館

熊以外にも、多様な農村美術が作られたが、八雲町では、町を代表する工芸品を「木彫りの熊」に絞り、日本画家の十倉金之(とくら かねゆき****)を講師として独自の彫り方を工夫するなどして、「熊彫(くまぼり)」としてブランド化を図ったことが広まった背景にある。「全国的に人気になったことで、他の地域と区別するために、焼印を押し、商標登録もしました。今でいうところの地域ブランディングです。日本画の技法を取り入れた『毛彫り』と、面で表現する『面彫り』という技法も八雲町の熊の特徴です。中でも、ユーモラスで可愛らしい擬人化された熊がおすすめです。木彫りの熊の制作の参考にと農場内で飼われていた2頭の実物の熊への親しみがあったことも影響しています」。1932年に発売された週刊誌で、「北海道観光客が一番喜ぶ土産品は、八雲の木彫熊」と紹介されるほど、有名なった。

面彫りが特徴の、抽象的な作風の柴崎重行の作品と、使われていた道具。 Photo: 八雲町郷土資料館
熊の学校。算数の授業中だ。 Photo: 八雲産業

また、その後の北海道観光のブームが木彫りの熊の広まりを後押しした。「1934年に道内の二地域が国立公園に指定されたことや、1955年ごろから結婚や退職などの記念旅行先として北海道が人気となり、お土産として木彫りの熊は大量に売れました。また、全国各地では北海道物産展が行われる際に、木彫り熊の実演販売も行われていました。しかし、1945年以降に多く流通していたものは、八雲町以外の地域で作られた木彫り熊であり、八雲町のものはごく一部でのみしか流通していませんでした」。

木彫りの熊たちの音楽隊。 Photo: 八雲産業

1990年以降、観光ブームの終息とともに、作っても売れない時代がしばらく続いたが、近年、再注目され始め、八雲町内に木彫りの熊を販売するお店ができたという。また、八雲町のみならず、全国各地にさまざまなスタイルの木彫り熊を制作する若手作家も新たに登場している。さらには、町の資料館には、海外から訪れる観光客も増えて、国内外ともに木彫りの熊への関心の高まりを感じているという。「北海道発祥の文化として後世まで残って欲しいと願っています」と大谷さん。土産物としてではなく、北海道固有の文化として、木彫りの熊の再評価が進んでいる。

* 17世紀にできた、徳川将軍家の分家。
** 1886年~1976年。政治家、植物学者、狩猟家。尾張徳川家*の第19代目の当主に当たる。徳川幕府崩壊後の新政府で貴族院議員を務めた。
*** ヨーロッパの農民たちが作った、素朴な木製の家具や日用品。
**** 日本画家。体調を崩して静養のため、両親がいる八雲町へ戻った際、木彫り熊の指導にあたった。